文句を言われると会社を移る。しばらくはその繰り返しになった。給料だけはいいので、生活に困ることはなかった。いやになったら別の開発屋に移ればいい。気づくとO氏は十社近くを渡り歩いていた。履歴書の内容確認もせずに雇ってくれる不動産業界の実態を身をもって知ったO氏は、これといった学歴も職歴もない自分が生きていくのにぴったりの場所を見つけていた。他人を騙すことにも慣れてしまった。この時代の経験が、のちのO氏の生き方に大きな影響を与えたことは本人も否定しない。
(参考情報)
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ふらふらしながらも確実に収入を得ていたO氏は、妻と2DKのアパートへ移り、ママゴトのような生活をしていた。結果的には、この最初の妻との暮らしがいちばん長く続いた結婚生活ということなる。しかし、苦労の絶えなかった新婚時代から徐々に暮らし向きが好転していく時期を共に過ごし、長女までもうけた間柄ではあったものの、やがて破局を迎える。振り返れば、O氏にとってこの頃がもっともまっとうな生活を送っていた平穏な時代だったといえるかもしれない。昭和四十八年秋、日本経済は第一次石油危機によって大打撃を受けた。同時に開発屋商売にも陰りが見え始めていた。O氏自身もまたその仕事内容に疲れていた。この時、O氏は転職を決意し、二十三歳から二年ほど興信所に勤めることになる。この仕事を選んだ理由は、ここもまた前歴などをうるさく問わないことにあった。給料こそさほどよくなかったが、人間の裏を探る仕事は面白かったという。O氏の職歴のなかでは唯一、不動産と関係のなかった時期である。だがその後、O氏は再び不動産業界に舞い戻る。